「大和魂」というのはやはり、猛々しい印象を受けますよね。そういった面もあると思います。
例えば武士道。これは「大和魂」を武士階級の行動規範として研ぎ澄ませて「道」に昇華したもの。
武士道と言えば「武士道とは、死ぬことと見つけたり」これは江戸時代中期に書かれた書物である『葉隠れ』にある有名な一節ですが、これは何も、むやみやたらと死ぬべき、と主張しているわけではありません。では何か。
あくまで僕の解釈ですが、これも性善説に基づくものなんだと思います。
まず、僕ら生き物は、自分のためだけに生きているんでしょうか。
本能は、群れ(家族)のために死ねるんじゃないでしょうか。
例えばミツバチは、自分の数倍の大きさのスズメバチに対して、熱殺蜂球(ねっさつほうきゅう)という対抗策をとります。最初の一匹がスズメバチに飛びついたその瞬間、周囲を取り巻いていたミツバチが一斉に襲いかかります。個の命を投げ打ち、集団を生かす行動をとります。
それに対して心を打たれるのは、僕らも本能として持ち合わせているからなのだと思います。
当然のことながら、家族でどこか出掛けた際に暴漢に襲われた場合、親は自分の命をかえりみずに暴漢に対して制圧行動をとります。それは本能的な行動だと思います。
そこで武士道の「死ぬことと見つけたり」というのは、自分の親以上の存在である主君に対して、他者のために自らの命を投げ出す行動をとれること、即ち生き物本来の本能を発揮すること、本能を発揮するための理性を、本能に即したものに研ぎ澄ませよ、ということかと、僕は思います。